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大学受験

前置き

私の大学受験は幻聴がひどく勉強もできず退却兵のようなネガティブな気持ちで受験を受けた。大半の人は積極的に勉強する中、試験を受けるのが普通だが世の中にはそんなかわいそうな境遇な人もいるわけである。少しでもそんなツライ受験にならないよう目的の達せなかった大学受験の勉強法について主に語ってみたい。個人的な意見だが才能は他人のおかげで勉強出来る事ではなく、勉強法をマイナーチェンジして日々開拓していける工夫が自分に出来る事が才能である。しかし、全くの真っ白から勉強方法を見つけるのは難しい。あらゆる方法を知ってから工夫できるものである。
//20161119
私は試験も合格しようと思わないと合格しないと思っている。それなりに計画的に一日一日使わないといけないからである。自己管理能力がいる気がする。

最終目標

結局勉強してから大事な事は数式を言葉を図形を絵を物理的対象を数学的問題を戦略を五感を繰り返しイメージする事なのである。もし集中できないというなら自分の興味のある勉強の対象を繰り返しイメージする事である。そしてイメージをああでもないこうでもないと考えて空想にならないよう現実と照らし合わせる事である。時間はかかるかもしれないがそれが本当のためになる勉強のような気が今するのである。

//2011/10/24 新規追加

//2013/08/11 追加
イメージをする事は前段階で何もないところからイメージするのは難しい。結局毎日何かを書き続けるか?何かを描き続けるか?して日々鍛錬する必要がある。そういう生活習慣の元何かがイメージできるのである。生活態度も改善できるし毎日何かを描いたり書いたりするのも結構ためになる。人に説明する時も何回も読み直して書き直して初めてわかりやすく説明でき自分も本当に理解する。私は他人に理解してもらって初めて自分が理解していると考える人が嫌いである。他人がいないと自分が理解できないのに納得いかない。確かに他人言われて気づくこともあります。それでも自分一人で改善できればそれに越したことは無いからだ。自分の生活態度から説明や理解が改善する方が私は大切な気がする。それを可能にするのは一日だけを考える事である。あんまり未来の事や過去の事より今日の事に重きを置いて初めて何かに集中できます。


概略

まず私の場合、大学受験の内容は高校受験の内容とも大学院受験の内容とも重ならない。だから一回失敗してもめげずに次にがんばれば良い。基本的な事だがインプットとアウトプットを繰り返すと効果があると私の生活からつくづく感じる。

英語・古文・漢文

インプットとして受けたい学科の大学試験の赤本の文章を読みまくって文章ごと単語を覚える。私には頻出単語は理系文系など学科ごとに異なる気がするのでその辺を注意した方がよさそうである。

古文

文章を文節に区切って現代語訳できるように訓練する。答えを見る前に古文と現代文の問題は実際に解いてみないと身につかないようだ。ひたすら現代語訳から問題を解いて答え合わせする地道な訓練が必要なようである。

英語(その1)

アウトプットとして日記やBlogでできるだけ話す順序で英作文を作る。わからない単語は辞書で調べる。特にBlogを使えばあまり苦労せずできるだけ話す順序で英作文が作れる。

文型(S+V,S+V+C,S+V+O,S+V+O+C,S+V+O+O,その他)に当てはめて英訳できる事。ただし長文読解の場合、英訳よりも話す順序で理解できる事が望ましい。話す順序で長文読解(インプット)と日記やBlog(アウトプット)を繰り返す習慣をつければ将来にも役に立つであろう。


英語(その2)

S+V+O+C,S+V+O+to+O,S+V+O+for+O,S+V+O+of+O,S+V+O+O
各動詞を何度か飽きるまで目を通す習慣を持つ。

動名詞しか持たない動詞と、不定詞しか持たない動詞と、動名詞と不定詞で意味が違う動詞を、何度か飽きるまで目を通す習慣を持つ。

some,any,all,each,either,neither,everyの単数か複数かの振る舞いを覚える。

私の場合、あとは高校受験と大学受験の知識を文法書で確認する事が多い。他には自分で作った日本語を翻訳サイトで英語にしてみて自分の日記やBlogをつけたりしている。自分が作りそうもない英作文が出来て結構参考になっている。

英語(その3)

ヒアリングもリーディングもセンテンスの区切りをつけて理解する。
例えばヒアリングの強弱を伴う
(主語+動詞),(目的語or形容詞+前置詞),(名詞+etc.)
のように文章を分解し理解する。

2012/05/27_追記

2012/06/04_編集

年々ヒアリングが難しくなってきている。
私が中学生の頃とはヒアリングの難易度が違っている。
だからいきなり難易度の高いヒアリングに対して
どうしたらいいのか私の場合と異なるかも知れない。

私の経過は
1番目に動詞が聞けるようになる事である。
2番目は名詞が聞けるようになることである。

その後1と2を繰り返す。
1番目と2番目が逆でもいいかもしれない。 名詞からの方が聞きやすいし入りやすいかもしれない。

2012/06/04_編集_終わり

2012/05/27_追記_終わり

2013/04/25_追記始め

ヒアリングの合唱をする。
聞きながら頭の中で同じように発音する。
要するに音読である。
今のところこれが一番有力そうである。


2013/04/25_追記終わり

2014/03/24_追記

英語の発音は単語と一緒に覚える。
母音はbody,cat,cut,bird,air,car,for,ball,about,mine,date,boy,out,oldを覚えればいい。
子音はthin,this,right,lightに気をつける。
センターテストは発音の問題が最初にあった。
私はあんまり出来なかった。子音の区別より母音の区別の方が難しい。
という事は母音の違いがわかれば問題はとけるのではないかと思っている。
母音は14個あるそれを単語で発音覚えれば
日本語のイントネーションでとけないかと思うが
確実なのは発音ごと単語を覚える事だろうと思う。


2014/03/24_追記終わり



文章問題や文法問題でスピードが問われる場合
全文をを日本語訳に変換すると時間がかかるだから
センテンスを区切って理解し解答する。
センテンスを区切って理解できるまで音読するのも一つの手段である。

私の場合
区切りごとに日本語の助詞を加えて理解している気がする。
スピードが問われるので
なるだけ英語のまま理解して解答するように努力している。


//20110521 英語(その3) 追記
英語(私の現状)

英単語を毎日のメール(TOEIC,TOEFL,TRAVELの三通)で覚える。
何回か繰り返したがこの作戦は失敗中である。
//2011/11/14
結局メールの単語をパソコンの辞書に文字を入力して調べてみるようにしたら
少しだけ頭に残るようになった。
手書きより疲れないので
単語をパソコンで入力するだけでも結構効果があるかもしれない。


TOEICの熟語を覚える。
自分が使ってみたい熟語は覚えやすい。単語より覚えやすいかもしれない。時間を置いて定期的に繰り返し目を通すと何とかなりそうな気がしてくる。

sometimes = once in a while = now and then again
always = all the time
especially = in particular
certainly = to be sure
but = though
because = so
順序が逆でも使える語彙に注目している。
これらが覚えられれば順序に気を使わなくて済む。
だけどI think that とかI know thatとかI consider thatとか
言いわすれたらどうしたらいいのか困っている。
今の所日本語から英語の変換ページを試したら
As long as I thinkとかAs long as I knowとか
As long as I considerとかで良いようだ。


英語の基本は読む書く聞くである。
書くでは自分のWEBサイト上で翻訳サイトや辞書サイトを参照しつつ日記や掲示板で英作文を作る。
聞くではTOEICのCDや音楽CDを携帯プレーヤーに保存して使っている。
読むではいくつかの本を使って文章の順番通りで理解できるように努めている。

たまに必要にせまられて英語のWEBサイトを閲覧する。

当面の課題は今の所単語と熟語と読書量である。

<<追伸20180408
On this train, you should go to Shuzenji of the last station.
You need a change on the next station from 3,4 line into 1,2 line.
You should go with me on the way to the next station.
I need a change ,but you need no change on the next station on this train.
この文を考えるまで三人の外国人に会った。
this trainが主語の時もあった。
それが訂正になったのは母親の実家の寺で80歳ぐらいの英語の文を見て
考えるものがあったのが要因である。
私も同じあやまちをしていたのである。
これぐらい頭の体操をしないと思いつかない。
それぐらい試しに試さないと文は良くならない。
今日もchangeにaをつけたりtheをnextの前につけて勉強になった。
頭の中で自分のやっている事を英語にするのも体操になる。
それを試して一つの能力になる。
他にも英語を作文するキッカケを作る事である。
頭の中で英語を作れる。それが試してみる能力である。
<<追伸20180408end

<<追伸20180428
母国語で書くのも大切だから英語も同じだろうと思う。
英語で考えてまとまるというのも大事だと思う。
いい加減な話ならいいかもしれないけどそれじゃあ誰も相手してくれない。
なんか英語教育は間違っていると思う。それを認めてくれないのが
その原因だと思う。やっぱり書いていくのが日本人らしいと思う。
<<追伸20180428end

<<追伸20180812
英語も色々考えさせられる。
どうやったら長い文章になるのか最近良く考える。
なんか英語は修飾語と動詞がキモのように思う。
それだけで文章が長くなる気がする。
日本語で文章を書いているとあんまり気にならない。
それでも外国語を勉強するとなんか日本語にも影響されている気がする。
色んな事やっていると色んな方面に影響を受ける。
それが英語にも日本語にも言える気がする。
<<追伸20180812end

<<追伸20180819
日本の英語は受験英語である。
本当の英語とは違う。
食べる切るとか動詞の異なるニュアンスの単語はたくさんある。
受験英語で表現してもニュアンスは異なる。
だから日本にあるものが絶対なんて無い。
それなのに競争している。ただ予算の獲得のためである。
それで結果が出なければ犯罪と同じである。
だけど結果が出ないのが普通なのである。
だからあんまり心配いらないかもしれない。ただあるのは責任である。
天動論から地動論になったのは明らかにパラダイムシフトである。
今の科学につながっている。
科学の考え方そのものがつまっている。
シンプルで美しい式が正しいという価値観は我々にも決定的な価値観である。
そんな事が受験英語にあるかというとただ競争の道具しかないと思う。
受験英語で何かが理解出来たとか何かが表現出来たとか全然聞かない。
ほとんど形だけ存在して受験英語化している。
東大が後何年か後のTOEICなどの資格を認めないのは
ほとんど英語教育の失敗をあらわしていると思う。
なんにも英語を理解していないし表現できていない。
そのあらわれである。もしこの壁を突破出来たら
英検も変わるだろうと思う。世界から日本式英検がもてはやされるだろうと思う。
だけどそんな現実になっていない。
ただひたすら競争の道具になりさがっている。
それが今の所私の現実感である。
そんな手前私は細々と努力している方がマシと言う身分でいる。
あんまりカッコ良くない。
細々している方が私の王道なのである。
極めて現実的である。理想を語る気になれない。
理想ほど他人にとって迷惑なものない。
それが私の選択である。
<<追伸20180819end

数学・物理

皆が避ける分野だから労力をかけると効果テキメンである。 インプットとして大学受験の赤本を上から下へと解答ごと読み理解すること。この時順序が大切である。いきなり答えにはならない。ただしアウトプットが出来るまで辛抱がいる。

数学書「オイラーの贈物(吉田武 著)」東海大学出版会

私の高校から大学までの数学が書かれている本である。
書かれてないのは群論だけである。
群論は修士時代に授業を受けたが実際に使った事はなかった。

名古屋にいた頃丸善で物理数学の本棚に群論があったので
今はもしかしたら大学で群論も勉強しているかもしれない。

だけど、参考書のみで中学生や高校生で読めれる数学の本が極めて少ない。
ガロアとかドイツの数学者のように数学は自分だけで本読んで勉強出来る分野なので
多分ドイツには中学生や高校生で読むたくさんの数学の本があるのではないかと
思ってインターネットで調べても見つからない。

ともかく、「オイラーの贈物(吉田武 著)」は結構欲張った本である。
こんな本がたくさん出版されれば世の中は安泰である。
私はやりたい事が一杯あっていつ読む事になるかわからないけど
いい復習になればいいなあと思っている。


//追記
どうやらオイラー自身の原著があるらしい。
リニューアルのようだがいい本である。

物理

変数と方程式の数が同じにならないと答えがでないので注意する。二次元と三次元のベクトル量を定義できる事。 ベクトル計算に内積と外積がある。ベクトル計算に慣れる事。有効数字に注意する事。 2011/06/09 追記

化学

私はこの科目全然駄目だった。試験のための試験みたいな所があって大学試験の赤本を解きながら暗記した方が効率的だと私は考えている。

日本史

Excelかノートを使って時代区分ごとに物事を整理する。テストを受けた結果からもExcelとノートに反映させる。もちろん整理した物はインプットする。

現代文

私の青年期はアウトプットが少なかった。パソコンのおかげでアウトプットするようになった。もしあなたが現代文の点が取れないとすればもしかしたらインプットかアウトプットのどちらかそれとも両方足りない可能性がある。

[追記//2010/12/30]
外人の書いた日本語訳の本を読めば少し外国語の語順に慣れるかもしれない。最近は日本語訳も上手くなっているので理解できそうな哲学系の本を読まないと外国語の語順による雰囲気がつかめないかもしれない。多分哲学書読めれば外国語の語順なんて苦労しないかもしれない。ただ言える事は科学書にしろ数学書にしろ文学書にしろ哲学書にしろ自分自身だけで本が読めればそれだけでアドバンテージだろう。

数学と哲学と科学(新規追加 2013/12/16)

私が計算しないのは無駄な人生を送りたく無いからである。
大学にいる人は共有する情報があるから数値計算なんて当たり前である。
私の環境でアインシュタインのような計算を私が出来る気がしない。
哲学の論理学が数学なのが理解出来ない人もいるらしい。
イコールって必要十分条件という事を高校で習って大学入試を受けた事のある人は
イコールの証明方法を知っているはずである。
物理ではイコールは平衡状態を表す。
これは化学の高校でも出てくる。
つまり左から右と右から左の両方が成り立つ状態である。

だから必然的に数学の証明方法や科学の証明方法は
論理的な証明方法である。 だから論理的である哲学をやっている事と同じになる。


模試

インプットをしたらアウトプットしてみよう。インプットが足らないと思ったらインプットしよう。アウトプットが足らなければ模試を受け続けよう。試験のためにはインプットとアウトプットの繰り返しを試みるしかない。
センター試験(2016.03.20)

もうセンター試験の時代が将来終わるみたいだけど
一言述べるとするなら国語200点英語200点で400満点である。
あとの科目はそれぞれ100点満点である。
そしてトータル800満点である。
国語と英語だけで半分の点数である。
振り返ると国語と英語の負担が私には大きかった。
現役時代もも浪人時代も国語も英語も100点未満であり
それでトータル500点プラス数十点のちょっとである。
どちらか言うと国語の分だけ文系の方が有利である。
何かこれだけでももうちょっと国語と英語やってた方が良かった気がした。
そんな余裕も無く退却兵のようだった。
そして勉強方法だけは英語以外すでに当時は正確に認識していた。
何かみんな良くこのために勉強しているなあと感じた。
えげつない勉強に思えた。
それぐらい世の中は反対にいびつなのかもしれない。
そして今も男と女がもめるのは
この時代のせいにしか思えない。
そしてあの時代から今までずうっと私の件は棚上げになっている。
恐ろしい話である。

記憶する事

記憶するという事は頭の中で何遍も繰り返す必要がある。
それだけでなく
覚えるスピードは頭が疲れないし余裕も無い遅すぎず早すぎずという微妙な線である。
覚えた後も忘れないためにはその後も繰り返す必要がある。

私にはそこまでして記憶したいなら
自分がしたい事を実現したい事のために記憶したい。
私が受験生でないからそんな事が言えるのかもしれないが
社会人にもなって自分の勉強した事が全然使えない事の方が異常である。

若いうちはいろいろな事が出来る。
いろいろな経験を積んで
自分の勉強をいかせられる事を願ってやまない。


11の2乗とか12の2乗など

浪人時代とか高校時代に11から20までの2乗を覚えろって言われたり
因数分解して計算しろとか言われて
大学院時代にそれを言われた友人がいた。
そんな事はたいした事でないって言ったけど
そんな事が役に立つのかいまだによくわからない。
ちなみに(10+1)^2とかにすると簡単に計算出来る。
ただ階乗を計算するのは骨が折れる。テストで困った事がある。

私は今になって思うのだがテストが出来る事より
どれだけ勉強を実行する事に集中したかだと思う。
人間の人生考えたら、いろいろな事に集中出来る方が得るものが多い気がするからだ。
発想の源は実行と集中と反省である。

//2011/06/15 追記

私の試験に対する感覚

ある人間がある時間にかける内容は
試験対策だけでは無い。
だから所詮テストで判断できない。
何を勉強できる素地があるって言うだけで
そこで活躍出来るかは試験では未知数である。
漢字は同じ大きさで書き平仮名はメモ書きする癖をつける。
日本語はペンをたてて英語は斜めにする。
段々字が書けるようになると
デッサン力も自然についてくる。
音楽理論がわかるとパソコンでメロディーは作れそうである。
でも演奏出来る方が作曲は早い。
外国語は同じ事を繰り返す根気なくて乗り越えられない。
ただの一本調子で覚えられるほど甘くない。
だから同じ事の使い方が重要な要素になってくる。

私には平等に試験する意味がわからない。
ある一定の能力がありさえすればいい。それを試験で示せばいいだけである。
仮に大きな能力を示したらその能力を活用する事を考えて
あんまり大きな事案でなければ他人にまかせるぐらいの気構えを持つ。
それが私の感覚である。

//2014/02/09 追記

-------------------------
国語:
英語:
短歌と俳句:
シナリオ:
--------------------------
文章は気持ちと世の中の現状で作られる。
--------------------------
国語:
小中学校で理想と現実に悩む。
それを書く機会を得る。
全世界に訴えたい気持ちで書いた。

英語:
中学時代は
英語について自信がなかった。
英語の経験は塾の影響だった。
それでもついてこれたのは
日頃の読書にあった気がする。
ともかくそこで受験英語を知った。

国語:
高校時代全然自信が無かった。
振り返ればアウトプットが足らなかった。
それでも少しの作文が私の情熱だった。

英語:
単語量に工夫を重ねたが
大学受験に対応出来なかった。
全体的に高校受験の方が暗記量が多かった。
むざんにも破れ去った。
そんな英語だった。

国語:
大学と大学院時代は
論理的な説明を求められた。
そんな意味でいい体操になった。

英語:
あんまり現状は回復しなかった。
苦手なままどうにかして
高校の状態を大学の状態にしたかった。
そんな意識のまま修士を修了した。

短歌と俳句:
何か短いので私にも出来るかなと思ったのがきっかけである。
それから色んな工夫を重ねた。
色んな発想が生まれた原因かもしれない。

国語:
掲示板に書きまくった。なんかいい事あるかもと思った。
母国語でもそれなりに効果ある気はする。

英語:
日本語にも効果あるなら英語もあるだろうとしばらく書いた。
表現したい文法から文章作ったりした。
そんなこと出来るんだと新鮮だった。
なんか頭の体操にはなって
気分転換にはなった。
そこでようやく大学の負い目は無くなった。
ドイツ語とフランス語が気になるところである。
英語と同じ道を通れるかが関心事である。

シナリオ:
シナリオの本を読む機会を得て
表現を見出だしている。
表現方法としては面白い気はする。
そんな話をした同僚に感謝したい。

何事も文章は気持ちが大事である。
世界に訴えたい気持ちで書くべきだと思う。
そんなこんなで世界に通じると思う。
そんな風に書けたのが幸いしてる。

----------------------------
//20180625追記



------------------------------------------
英語のインプット:
英語のアウトプット:
その他の外国語:
私の声:
------------------------------------------
世界の窓について
------------------------------------------

英語のインプット:
単語をたくさん覚えなああかん。
その点英語をヒアリングするか多読する方がラクである。
それが受験英語のツライところである。
本当は多読やヒアリングするにはアウトプットも必要である。
なぜならその方が語順の感覚に慣れるからである。
日本語の感覚のままヒアリングや多読するから英語嫌いになる原因である。

英語のアウトプット:
これはこれで気分転換になる。なんか今までと違う頭を使っているような気になる。
必要なのは極力英語の順序でアウトプットすることである。
インプットでこんなに困っているのだからアウトプットも努力した方が良い。
翻訳とか辞書で調べて新しい言葉を使ったほうが良い。
文法から言葉を作るような事をしてもいい。
いろんな制約を課して文章を作るべきである。
それは短歌や俳句に似ている。それはそれでアウトプットは革命児である。

私の声:
そんなんだからインプットとアウトプットはくり返した方が良いに決まっている。
それが一番適しているのは会話である。
それでも外人と話するのは抵抗が私にある。
人知れず努力するのは音楽データと本で何遍も文句言われずくり返せるので
一人でコツコツやる事である。
それが私なりの一番の近道である。

その他の外国語:
英語の経験はその他の外国語にも言えることである。
ただ私は歴史上の空海のように外国人と話するのは至難だったと思う。
読み書きぐらいが関の山のように思う。
なのでまず取り組むのは読み書きだろうと思う。
ヒアリングは隙間時間に単語を増やす程度である。

私の声:
英語の単語を自分の頭に定着するのにも時間がかかった。
そんな手前そんなに簡単じゃあない。
それを短時間に可能にさせるのが会話だと思う。
だけど私にはそんな機会が無いしそんな勇気も無い。
それが大半の日本人だと思う。
なのでどうにかして努力を重ねインプットとアウトプットするしか無い。
それなのに受験はインプットばかりである。
それが悪循環のはじまりである。
自分の行動を頭で英語にするとかそういう体操が受験には大切である。
遠回りのようで近道なのである。

なんでそんなに英語嫌いにする暇があったら
明るい未来を提示するような大人になりたい。
それが私の実感である。

―――――――――――――――――

それで昨日はドイツ語とフランス語やった。
それでも単語の定着は難航している。
そんなくり返しは英語にもある。
人生そんなもので日々が過ぎている。

//2018/06/25追記

最後に

6年間大学で学んだ私の専門は情報系の天文系の物理系の理論系である。もちろん数学と英語も必要だった。極限られた者しか理解できない専門用語の基礎知識が必要な上、他人に説明する時、ハッキリした明快な回答を求められた。難解な事を研究してもあいまいな表現は許されず、そこには妥協はなかった。要するにそれだけ厳しかったのである。 だけどそんな世界だって自分が出来る役割を選択する事は大切なのである。つまりいろんな人がいろんな役割を担って似たような世界で挑戦していたわけである。だから勉強が仮に出来ないなら興味のある世界で自分が出来る役割を探した方が幸福である。例えば物理だってフーコーのような人がいるのである。私も含めてどうなるかわからないけど神経質にならず適当な所で健闘を祈る。


わからない
どんな未来が
くるかしら
出来る事しか
かえていけない    行有
出来る事
かえていければ
進むだけ
どんな未来も
一心不乱       行有


追伸

生活習慣については花のある生活で書いてみました。



2014/03/02 記事追加(幻聴への考察)
2014/03/03 記事追加(幻聴への考察)
2014/03/04 記事追加(幻聴への考察)
2014/03/05 記事追加(幻聴への考察)
知性 (2014.02.28)

何だか真面目にいきるとはどういう事なのか疑問に思う。
テストで高得点なのが才能と言えるだろうか?
仕事をするのが生産的と言えるだろうか?
なんかうまくごまかされてる気がする。

何だか日本の構造は末期的である。
幻想の中で日本は成りたってる。
日本に必要なのは大多数の新興勢力のような気がする。
そのために努力を重ねようと思う。
秀吉がたくさん必要である。
それも高学歴高収入に負けない知性集団を形成する事である。

それが幻想を打ちのめす。
そういう新興勢力が日本を変える。
IT技術がそれを可能にするかもしれない。
何か今の社会は本当の知性では無い。
そんなものに頼って幸せになる気がしない。

自分のやることに工夫も出来ないで
知性といえるだろうか?
もし自分なりに工夫できれば幸せにいきていけるはずである。
それが不可能だから幻想なのである。

そういう事も先生は指導出来ない。
子供に個々にああしてみろとかこうしてみろとか言えない。
どうしたら子供が色々工夫できるのかそういうキッカケを与えない。

大人のする事は
子供のする事にアレンジしてやることである。
それで子供は要領を得る。

そんなことを出来る大人こそが本当の知性である。


簡単な豊かな余力 (2014.03.02)

私の事で問題になるのは
無いものねだりな気がする。
本当に欲しいものなら努力すべきである。
私は私で努力しているわけで
それは私の問題である。
何か公私混同している気がする。
本当に世の中に無いものは努力しか生み出せない。
それを他人の問題にするのは努力が足らない証拠だと思う。

私は幸せにしたい他人がいればいい。
その他人を問題にする必要なんて無い。
そんなことをする前に一緒に幸せにできる努力をすべきである。
私と他人には何の問題なんて無い。

幸せに出来る努力が出来ればいいだけである。
ようはプラスに働く努力をお互い確認できさえすればいいだけである。
そんな簡単なことがこの資本主義では不可能らしい。
学歴も職歴も通用しない身勝手さは
単純な事が成立出来ていない証拠のようである。
幻想の世の中にいると痛感せざるおえない。

私には協力して努力して一緒に幸せになれればいいわけで
そんな簡単な事のように思うのだが
そんな簡単な事でもめてる。
だから何べんもうんざりする。

そんな学校生活や仕事生活は幸せになれていない裏返しで
個人主義が強すぎて利己主義におちいって
結果どうしたら幸福になるのかわからない人が大勢いるらしい。
もうちょっと一人一人がどうしたら幸せになるのか真剣に考えて
勉強や仕事した方がいい。
幸せに生きていない裏返しのように思う。

幸せに生きるなんて私は簡単だと思うのだが
ボケとツッコミのどちらかが足らないとか
目標が高すぎるとか
もっと素朴な幸せを求めればいいわけである。

お互い微笑みながら会話してコーヒーとかお茶とかでも
十分乙で風情を感じる。
なんかそういう余力さえあれば十分お互い満足すると私は思う。

非常に簡単じゃあないのか?
そんな一時が資本主義で成立しない。
勉強も仕事もそういう豊かな余力がない証拠である。


民主主義の勝利 (2014.02.13)

何だか身体障害者の作曲者の件でテレビになっているようだが
他にも作曲しているJPOPも本当に本人が作曲しているのだろうか?
あんまり取り立てて特別なニュースでも無い気もする。
結局の所芸能人って夢を作る仕事であって真実では無いそんな気がする。
だから真面目に考える必要無い気がする。

真剣にテレビ見る気が起こらない。
真実なんて別世界にあるそんな気がする。
学歴社会にも真実なんて無いから別世界にうつる。
真面目にいきている奴はそんな事は当たり前のように生きているそんな気がする。

アイツが駄目なら俺も駄目
では駄目だ。お前はお前で自助努力しろ。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」はそれを民主主義の勝利だと言った。それがロシアとの違いだと言った。
だとしたらテレビと一緒になるのは
止めた方がいいそんな気がする。

トドのつまりはアイツなら何とかしてくれるとも思える自助努力をする事だと
私は思っている。
一緒になる事が民主主義ではない
そういう事が日本海海戦にあらわれているそう思う。


黄金の美 (2014.02.23)

私の幻聴は相手にならない。
それだけはハッキリしている。
共同作業なんて無理である。
落ち着いて話も出来ない。
それでどうやっておしとやかになれるのかわからない。
美しいものには静寂が必要である。
結局美しく無い奴が騒いでるだけである。
二人がおしとやかになれて冷静に判断出来るってどういう事なのか考えた方がいい。
お互いが風情があるのが美しいという事である。

人間は孤独のために愛を与える人間にならなければいけないらしい。
何かを成し遂げるには孤独なものである。
特に世の中に無いものならなおさらである。
愛によって孤独にならない気が私にはしない。
孤独に身を投じるこそ愛である気がする。
孤独に対して逃げるなんて愛がない気がする。
孤独でもあえて突き進む理由そのものが愛である。
そんな覚悟があって愛が語れる気がする。
自己防御してそれが愛だというようななまやさしいものではない気がする。
立ち向かう勇者こそ愛がふさわしい。

人生自分の心に静寂があれば
孤独の道なんて屁である。
立ち向かう勇者こそ愛があり孤独な道に恐れは無い。
それこそが大衆が涙を流す黄金の美なのである。


安心と一日の送り方 (2014.03.03)

家の母と父は
私を不安にさせなかった。
それが私の安心感につながった。
小学生低学年の頃を思い出して一日を充実すればいいと思い立った。
それぐらい今は幻聴で不安である。
あえて人を不安にさせた所で信用されないと思う。
だけどそれを止める気にはならない。
自業自得だからだ。
私はそんな道は選ばない。
安心感で私は仕事がしたいそう思っている。
でも私の元の職場はそんなんで無かった。
私の小学生低学年を思い出すと安心感があっても仕事や勉強はできる。
そんな向上心の強い小学生だったような気がする。
何か楽しい事が待っているようなウキウキしたタフさがあったような気がする。
そういう意味で今も向上心はあるし目標もある。
ただ不安な感じが全然違う。
あの頃のおおらかなはじけるような安心感さえあれば
鬼に金棒なんだなあと思う。
家の母と父はそういう意味では偉大な気がする。
決して外界の不安を私に持ってこようとしなかった。
そういう意味では強い父と母だったのかもしれない。

もしかしたらコワイとかいう人は
そういう不安を知らず知らず他人に植え付けてる所が女性にうけないのかもしれない。
少なくとも家の母と父はそんな事無かった。
それで私の小学生低学年時代も今も向上心や目標があるのは
仕事をしている人達と比べて私の方が大きいのかもしれない。
だって仕事してたらそんな目的のために苦労したいと思わない。
私の向上心や目標の方がよっぽど大事である。
大方不安にかられて向上心も目標も小さく安定した給料さえもらってたらいいみたいな所あるような気がする。
そんなんで世の中まわってる。
自分の仕事以上の向上心や目標無くかといって不安な仕事が当たり前なため
私にはそんな世の中でいいのか疑問である。

私が安心して向上心や目標を持てるのは
ある意味異質なのかもしれないが私が存在するという事はそれは可能だという事だろう。
幼少の時からそれも色々な経験が私にあってそれを可能にしている。
でも多少不安があっても生きているタフさは私にも必要な所である。

安心と一日の送り方はそういう我が家の父と母の力にも影響を受けてる気がする。
不安は信頼関係が揺らぐ私にはそう思えてならないだから
私はあんまり他人を不安にさせたく無い。
出来るだけお互い自助努力したい。
不安で仕事する事無いそう思うけど世の中そんな風ではない。

そこが私と世の中のミスマッチかもしれない。


雑記 (2014.03.04)

私も永遠にくだらない女性の話聞くのもうんざりなので
どうにかヒントでも無いか?色々考えている。
こんな時ぐらいしか考える事無い気もするので
どうか今の現状に満足してない事だけは理解してください。
もしかしたら大した事無い事までどうせなら掘り下げて考えてみようと思う。
つまらない事かもしれないけど結構自分に影響を受けた事が他に無いか
自問自答している。
何か私に頼られても困るんだけど
どうして私がこんな状況におちいらなあかんのか理解出来ない。
もっと楽してる奴他にいるんじゃあないかと文句たらたらである。
でもしょうがないやってみるだけやってみようと思う。

四歳のときぐらいから
水泳をやったらしい。
男性の教官のおびえと深いプールで泣いていた事もあった。
勇気を出して泳いだらとんとんと
私はつらかったけど何とか泳げるようになった。
何か一年早いクラスでやっていたようである。
でもそれを母親に言ったら同級の女の子はもっと上のクラスにいるよと言われ
観察したら扇風機のようなクロールだったのを覚えている。
それが私に良かったのか悪かったのか
つらくても学習意欲は人一倍あったような気がする。

現在は子供に泳ぎ方ぐらい指導出来るので
私の道を同じようにするのも酷な気がする。
でも何か苦労して学ぶ経験は大事な気がしている。
結局その経験が他人の気持ちも理解出来る自分だったような気もする。

でも水泳大会の件は
いちゃもんつけられて
困った。
相手しても理解してくれないのであきらめた。
多分今も平行線なのかもしれない。
そういう意味で話しても通じない人がいるというのが私の結論である。
だから幻聴の相手も私としたら同じ気持ちなのであるが
私はあきらめても相手があきらめてくれない。
結局ここまでずるずる来てしまってる。

エリートにはこの話が通じない。
多分そういう相手をした事無いのではないか?
理路整然と話せばわかるみたいな気持ちが
私には許せない。
そんな奴ばかりではないというのが私の結論である。
多分そういうエリートが私をいまだに苦しめている。

無理なものは無理。
それをエリートも理解出来ていない。
だから問題は複雑化している。
私の中では決着しているのに
私を大事にしてくれない。大事なのは自分の対面だけで私の心なんてどこかに行ってしまっている。

多分エリート自身がエリートとして認められるまで
こんな現象は私の事なんかどっかにいっても
続くのではないか本当に困った話である。

水泳のかわりになる習い事といったら
個人で研鑽出来るものの方が良い気がする。
ボーイスカウトで
アイツが駄目なら私も駄目じゃあいけないと言われた事あったので
そういう意味で自分が自分で努力出来る環境がいいかもしれない。



我が小学生低学年から中学生 (2014.03.04)

私の習い事を並べてみる。
水泳、習字、剣道、ボーイスカウト、サッカー、野球、水彩画、学習塾
すべて小4の夏休みに転校後
水泳と学習塾のみになったが
転校先の宿題の多さに参って水泳も学習塾も止めてしまった。
でも世間の厳しさを知った。
転校先のなまぬるい環境に疑問を感じた。
その厳しさに彼らはたえれる気がしなかった。
でも私には夢があった。
それを実現する活動をした。
転校前の自分は結構充実していて
一日がドラマチックで涼しい教室の廊下で横になるのが好きだった。
疲れて一日が終わり何もかも忘れて明日が来るのが
私の贅沢気分だった。
多分少年時代はタフだったし楽しく過ごしたい少年の一念しかなく
あんまり世間がどうとか興味なかったように思う。

ボーイスカウトの話と民主主義の話は
転校後の小中学校では私はした事が無い。
だけど先生の話を真に受ける生徒もいて
世間はそんなに甘く無いのにどうしたら理解してくれるだろうと悩んでた。
結局みんな利己的で何が正しいのかなんて二の次なのである。
そこに理路整然とした理論なんて通用しない。
だから私はあきらめた。
最後の決断はみんなの多数決である。
それで私は納得する事にした。
何言っても聞いてくれないそう思ったからである。

世の中にはそういう力学が働いている事をエリートは知るべきである。
理論より自分が損か得かしか働かない奴がいる。
そんな奴に民主主義って言ったら多数決ぐらいしか無い。
本当はもっと違うと私は思ってもそんな話は聞く耳無い。

そうやって話を聞かないのに自分の損得で動く奴に
どうやって正解を導けるのだろう。私にはお手上げである。
結局幻聴の女性と水泳大会のいちゃもんつける男性に
話が通じない。無い物ねだりにしか聞こえない。
私は能力無いから得になる事しか目がありませんと言ってるようにしか聞こえない。
説明したって無駄なのは経験済みである。
とりあえず私は説明した。でも無駄だった。
結局得になる事しか目が無い。だから私はあきらめた。


雑記 (2014.03.05)

ちょっと英語を頭の中で発音してみた。
英作文が苦手な方は自分の動作や状態を英語にしてみたらいい。
そのうちにyouとかweとかheとかsheとかitとかtheyとか名詞とかを主語に動作や状態をあらわせばいい。
結構日本語と違うので頭のストレッチみたいな気分転換になる。

自分の時間の使い方はそれぞれ他人と違うだから一律にテストで判断出来ない。
それを同じテストで判断するのだから
それは幻想である。
私がこれまで工夫してきた事は
テストにあらわれていない。
そしてテストなんて評価者によって変わるという事だ。
何も見ずに0点にもできるし100点にも出来る。
評価者を信頼しなければ成り立たない。
でもそんな評価者なんて表に出てこない。
はっきり言ってブラックボックスである。
私のテストの点だってあやしい。

結局テストなんて本人が満足するかしないかにしか成立しない。
それを他人が評価してくれるものだと思う事自体が間違っている。
だから
私はこの世間が滑稽に見える。
本当に地道な世界観を持っている人がこの日本に存在するだろうか?
どいつもこいつもおかしい。
そう私には思える。


参考になる話 (2014.03.06)

あんまり私の話が他人に役に立つのか
私に自信があるわけでもない。
ただ私には出来るという事実である。
私は弱い人間である。
電磁波に幻聴そして精神薬飲んでも
私に出来るというだけである。

学歴のある高収入の人のような強い人間が出来る話ではない。
こんなに困っているのに出来る話なのである。
サッカーも野球も水泳もその他も
日本の上も下も楽をしすぎである。
もっと頑張れる。そう私は応援しているつもりである。


大学受験時代 (2014.03.24)

私の高校受験の方が大学受験より暗記量が多かった。
親戚は歳のせいではないかと言いたかったらしい。
世間はそんなものではなかった。
やっぱり大学受験に対するみんなの必死さが私には伝わった。
それは高校受験なんか屁みたいに感じた。
そんな中で自分はあんまり記憶する許容量が無かった。
一貫校で高校受験より大学受験にターゲットをしぼった人もいるような
ただならぬ暗記量で試験をのぞんでいる気がした。
そんな歳で説明出来る環境ではない。それが大学受験であった。
私が暗記量も無く大学は入れたのは理系だったからである。
それもあんまり暗記しなくていい数学と物理の筆記試験が出来たからである。
文系なら間違いなく大学は入れなかった。そう私は思っている。
当然あんまり英語は出来なかった。
今英語やっているのも塾の先生から指導を受けた高校受験のおかげである。
そういう苦しい受験状態でも私なりの王道ってあるよなと今は思う。


人生も仕事も勉強も (2014.04.20)

NHKの配偶者控除について深読みでやってた。
もうちょっと仕事のあり方から考えた方がいい。
一体どういうのが大人の一人前というのか私には理解出来ない。
配偶者も障害者も大人の一人前ではないという意味で
非常に不安定である。
いっぱしの給料稼げる大人だけ優遇されている。
どういうのが大人の一人前なのか教えて欲しい。

いくら活躍しても評価してくれない。
それは配偶者も障害者も同じである。
それがとっても不公平である。
稼げる人だけ大人の一人前のような気がしてならない。

評価してくれない意味で障害者も配偶者もかわいそうである。

みんな同じとかあいつは違うとか
みんな頭ごなしである。
そんなんで物事は進行しない。
人生も仕事も勉強も運転である。
自己修正のある運転である。
あんなこともこんなことも運転である。
そういう議論が出来ない仕事を仕事というのか理解出来ない。
日本国憲法の解釈も同じである。
日本の第一問題は北朝鮮である。
それをどうやって解決するつもりなのか教えて欲しい。
私は平和解決なのがいいとは思う。
でも相手はそれで解決できるのかそしてあらゆる手段をちゃんとうっているのか
その運転無くて議論は成り立たない。
ただの机上の空論である。

頭ごなしに議論してもただの無駄である。
今起こっている状況からどうすべきか考えるべきである。

本当は勉強も学校も仕事も
今の状況の運転でしかない。
自己修正できる運転でしかない。
そういう事をさまたげる話は有害である。
自分の思考をストップするだけである。
ひたすら運転して展開し自己修正し修練していく道を選ぶべきである。

みんな偉そうなこと言って満足する奴なんて
おいてけぼりでいい。
ひたすら運転である。


雑記 (2014.06.05)

こんなにも大学受験で失敗したのに
私が提言出来るのは
一浪人時代に他人を観察していたからである。
そういう意味では私は大学受験は第三者だった事になる。
他には高校受験に良く勉強したからだろう。
特に私の英語の猛追は高校受験にあるような気がする。

本当はこういう話を同級生にしてやれなかった。
聞きたそうな同級生はいた。
でも私には根拠に乏しく自信が無かった。
大学の経験があって確信にかわったけど
当時はあんまり自分に自信が無かった。

そういう意味で私は申し訳ない気もする。
でも勉強方法は一浪時代に大半があったと思う。
それでも勉強出来なかったつらさは後世に残したい気がする。
だから東大生や京大生はそういう不運な学生を引っ張っていく心構えを持っていって欲しい。

私が本当に勉強出来るというのは
数学の問題なら一問を頭の中でインプットして何日間か考え続ける事のような気がする。
それは解けなくてもいいからそういう習慣を持つ事である。
私が先生ならそういう宿題を出したい。

私がそう思うのは
専門柄物理なので私のかかえた物理の問題を悶々と何年も考え続けた末に
今日のホームページに至ったからである。

だから何も物理や数学でもなくても
一日頭にインプットしたものを悶々と考え続ける習慣が
本当の勉強な気がする。

そういう意味で試験に出来るって反射神経的であんまり好きでない。
正直試験が役に立つのは本当の勉強ができてはじめて役に立つそう私は思っている。

だからわからない問題を悶々と考えるって乙だよ。
社会でも理科でも数学でも国語でも英語でも
考えるすばらしさを知る。そんな若者に私は期待したい。

あんまり反射神経で物事は進まない。
そこが私の訴えたい事である。
そしてそんなに物事は早く進まない。
だからなおさら、じっくり一日を送る事をすすめたい。
そこに反射神経があれば絶対鬼に金棒である。
私に反射神経があるとしたら数学大系だったような気がする。

ひたすら訓練あるのみ
そのうち開けていくはずである。


雑記 (2014.06.04)

私は正しい事をし続けて生きているわけではない。
結果的に良かったねと思えるように生きている。
だから大半は結果オーライであるような気がする。
結果オーライのためには他人の観察や知恵も含まれる。
仮に私が正しい事をし続けているとしたらそれは神様のせいであって
私のせいではない。
私のやることはすべて結果論であって
私としては私の力とは思っていない。
結果のために何をしたらいいかそういう判断基準をもとに
発言している。
そういう意味では壁を乗り越えるために作戦をねって努力するが
壁の先まで理解しているわけではない。
私に出来ることは壁に乗り越える事だけにたけているように思う。

勉強出来ても結果がついてこないなら
本当の勉強ではない。
結果がついてくるのが本当の勉強である。

そういう意味で本当のエリートは
本当の勉強が出来る人である。

私にとって本当の勉強を体験する事が
私の重要事項である。
それが私を結果オーライにさせる。
そう信じている。